岩滝の歴史 −21−

鎌倉時代E−南北朝−


文永11年(1274)蒙古の大軍が筑前を襲った。それから4年後、宇多天皇の弘安元年(1278)大江季行が、与謝郡日置(宮津市)の地を北条氏から賜って日置城を築いた。
弘安2年(1279)、執権北条時宗は元の使者を博多で斬り、同4年(1281)元の大軍が来襲したが、いわゆる神風のために玄海灘に沈み、同7年(1284)には北条時宗が死んでいる。
北条氏の勢いが漸くおとろえ、やがて南北朝の対立といった政治的に不安で行政の混乱した時代が続いた。
執権北条高時は、朝廷方の討幕計画にそなえて、京都の南に北の六波羅に探題(たんだい)を置き、朝廷と近畿各地の監視を厳重にした。
高時は、かかる重大な政局であるにもかかわらず田楽舞に興じ、これを天下にひろめた。

後醍醐天皇は討幕の計画が発覚したので難を吉野、笠置にさけ、北条高時光厳院を立てて天皇とした。
楠木正成、後醍醐天皇の味方をして赤坂城にたてこもり北条の軍を相手に戦った。
後醍醐天皇の方を南朝といい、北条のたてた天皇を北朝といっている。
南朝方の笠置、赤坂の城が北条軍のために攻め落とされたのは元弘元年(1331)である。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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