岩滝の歴史 −217−

警防・保安(1)

−警察制度の変遷(1)−


警察制度の変遷について、丹後宮津誌、与謝郡誌を参考にしてまとめて見た。
「警察」という名称は明治時代になって欧州諸国の警察制度を取り入れてから使われるようになったものである。
昔は、武士が警防、保安を兼ねていた。大友、物部、久米部、佐伯の四氏が武人であると同時に、内外の警衛をし、非違を戒め、犯罪人を逮捕した。

孝徳天皇の時に唐国風を模倣し、五衛府をおき、後改めて六衛府となし、皇宮の警衛に当らしめた。又、此の時代に弾正台を置き内外を警戒し、非衛を糺弾する任務に当らせた。
聖武天皇の時代に諸道に鎮撫使をおき、諸国の盗賊兇徒を捜査逮捕させた。
奈良時代には、押領使、追捕使等の官を設け職務を掌らせたが、効果が挙らなかったので、更に検非違使(現今の司法制度と比較すれば司法大臣)に追捕、糺弾、訴訟等を司らせた。

鎌倉時代には、源頼朝が総追捕使となり、全国に追捕使をおき、兵馬の権をもち、警察権も併せ掌握し、この機関としては、問注所、侍所等の機関があった。地方には奉行、探題、代官、守護、地頭をおいて、軍事と共に警察事務を管掌させた。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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