岩滝の歴史 −218−

警防・保安(2)

−警察制度の変遷(2)−


足利時代に、所司代、管領等と名称をかえたが、其の組織権限は鎌倉幕府と大同小異であった。
足利氏の末、応仁の乱から郡雄割拠の時代となり、織田、豊臣を経て、政権が徳川氏の手に帰するまでは警察権の進歩発達はなかった。
徳川時代に至り、泰平うち続き、警察制度も整い、いわゆる、老中、若年寄、町奉行、寺社奉行、勘定奉行、大目付、徒目付、小人目付、与力同心等の職があった。

そのうち、奉行、目付は主として、警察権を司った。与力、同心は町奉行の配下に属し、市中を巡羅して犯人を逮捕した。町奉行は、犯人の逮捕から、聴訴、断獄のことまで行なった。今日の如く行政、司法は分離していなかった。
尚、自治機関である町年寄、名主、地主、家主、庄屋、五人組等の制度があって、町奉行の警察事務を補助した。
江戸の市中に火付、盗賊改めという別箇の警察機関があって、専ら盗賊及放火犯人を逮捕する仕事に当っていた。

以上は、徳川幕府に直属した役人であって、地方各藩の制度もこれにならい、其の組織権限ともに大体同じであった。
宮津藩でも町奉行、郡奉行によって不完全ながら、警察権が行なわれ、その後宮津警察署の官舎も古風で、厳めしい奉行屋敷をそのまま使った。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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