岩滝の歴史 −219−

警防・保安(3)

−警察制度の変遷(3)−


明治維新の始め、江戸市中鎮撫取締を置き、各藩の兵士が市中を警戒した。此時代は軍事と警察とが混同していた。
明治4年(1871)邏卒(らそつ)三千人を置き、引き続いて一千人を増員し、護身用に棍棒を持たせた。
明治5年(1872)8月、司法省職務並に職務章程というものが定められ、警察事務は誚々独立の形態を備えてきた。

すなわち、司法省の中に警察寮が設けられ、全国の警察の事を総括した。各府県に大警視、権大警視を派遣して、管下の警保の事を監督させた。
各区には、小警視、または権小警視を派遣して、担当区の警保の事を監督させた。
府県大区には大警部をおき、大小警視の補佐に当らせた。

各小区には小警部を派遣して、警保事務を司らしめ、是等(これら)の下には、一等から三等迄の巡査をおき、巡査一名に付、十人宛の番人及小頭を指揮監督させた。
各小区には、罪人を拘引抑留する屯所が設けられていた。番人は民費を以て費用を支弁した。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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