岩滝の歴史 −220−

警防・保安(4)

−警察制度の変遷(4)−


明治8年(1875)3月、大政官達第二九号を以て、行政警察規則が制定され、警察事務は司法省の管轄から離れて内務省に属し、純然たる行政官庁としての各地方警察機関が設けられるようになった。
従来、捕亡、又は取締組、番人等の名称を廃して、これをすべて邏卒(らそつ)といったが、明治8年10月20日、地方警察の職制が改定され、邏卒を巡査と改称し、警部は知事の命を受けて、巡査を指揮した。巡査を各派出所に派遣して警察事務を掌らしめた。

明治9年(1876)8月、宮津警察署が設置された。
明治10年(1877)1月内務省達乙第五号を以て、従来小区に設けられていた出張所や屯所が廃止され、出張所は警察署と称し、屯所は分署といわれるようになった。この時、与謝郡、加佐郡に、岩滝町外十分署が置かれた。
その後、警察署及び分署の統廃合があったが、京都府は郡部五ヵ所に警察署を置き、その下に分署、交番所を置いた。

宮津警察署は与謝郡全部と加佐郡内、百二十七ヶ村と二十二箇町を管轄範囲とした。
宮津警察署は直轄の外、四箇分署と、八箇の交番所を持ち、警部二名、警部補三名、巡査六十七名、傭十七名が配属された。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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