古墳時代@

−県主(あがたぬし)の古墳がある岩滝町−

地方の有力な豪族に大和政権から「姓」(かばね)が与えられ、地方の支配権がゆだねられた。これは原始的な地方行政官であり、「県主」(あがたぬし)「稲置」(いなぎ)などとよばれていた。
男山法王寺の古墳(岩滝町男山地区)は県主のものであろうといわれている。とすると、岩滝町と大和政権の関係が如何なるものであったかおおよその見当がつくのでは・・・。 

五世紀から六世紀になると、県より更に大きい「国」という行政区画が次第に整い、その地域の豪族のうち有力なものにその「国」の支配権がゆだねられた。
国造りには多く「直」(あたい)という姓が与えられた。熊野郡久美浜町海部地区に「直」のついたことが伝えられているが、岩滝町が、この支配下にあったものかどうかは明らかでない。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月

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