古墳時代C

−岩滝町の古墳(法王寺の古墳)−

昭和43年7月、京都府立養護学校建設のため、岩滝町男山小字法王寺海抜113メートルの峰から延びた丘陵の尾部にあたる一帯で敷地造成の準備が行なわれた際、山全体に多数の河原、石の散乱するのが見られ、石棺(古墳)の封土北方丘陵に続く部分の掘り割り又は谷間と見られる部分にも多数の河原石が散乱していた。
 

文化財保護課では古墳(石棺のある封土)調査をおこなうにあたり、附近の山地一帯に広範囲にわたって、散乱する河原石のあることに不審をもち、地表調査の結果、西向き前方後円墳の可能性があると判断するにいたった。
調査の結果、全長130メートル後円部径70メートル前方部45メートルと推定後円部中央は新田開発用の土砂採取のため大きくえぐられ、西側墳丘裾は埋められてはっきりしていなかった。
後円部主体部であったと思われる、長持形石棺材が後円部東側裾の藤森神社の祠の前にある。なお、長持形石棺は古墳時代中期の前方後円墳に用いられるのが通例である。
この古墳は、考古学上貴重な資料であることから、保存することも検討されたが、結局記録での保存となり、学校建設することとなった。
参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月

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