古墳時代F

−大化の改新とその前後−

与謝郡野田川町の山田地区、石川地区が物部氏に属し、その一族の墓が多いが、物部氏の滅亡によって、支配者が蘇我氏にかわったことも考えられる。人名と地名の一致から結び付けられたものか、蘇我倉山田石川麻呂と、与謝郡野田川町山田、石川地区と関係のあったように書かれている書物がある。
また、地方史のあるものには、山田石川麻呂は与謝郡野田川町石川で死したことになっている。これも、山田石川麻呂の名が野田川町山田、石川と結びつくので、我が岩滝の近くで最後をとげたことになったのであろう。

当地方を蘇我山田石川麻呂が直接支配していたものかどうか?ただ、与謝郡加悦町、野田川町や我が岩滝町が、はじめ物部氏に支配され、物部氏たおれて蘇我氏が勢力を得た後は蘇我氏との関係が生じ、その影響を受けたことは想像される。
天武天皇(673〜686)の12年(684)「八色(やくさ)の姓(かばね)」が制定された。直人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿弥(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)の8階である。
岩滝町弓木(ゆみき)は忌寸(いみき)姓をもった支配者と関係があったのではなかろうか。岩滝周辺の古墳群と物部氏との関係、物部氏に代わって政権を独占した蘇我氏。蘇我倉山田石川麻呂と岩滝町。
大化の改新から律令の実施と整備、特に前記の「八色の姓」に見る「忌寸(いみき)」という階級。いずれも歴史の秘密がかくされているような気がする。
参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月

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