名力士小鷹


岩滝村(いまの岩滝町)に3人の名力士がいた。体重三十貫(112.5キロ)近い巨体の白藤、押しの倉橋。そして小兵ながら、どこに怪力がひそんでいるのかと思える小鷹。この3人、性格、気質からけいこ方法までそれぞれ異なっていた。巨体の白藤、けいこはあまりしなかったが、村で彼にまさる力持ちはいなかった。押しの倉橋はただ腕力だけを鍛えていた。一方、ヤセの小鷹は、なによりも相撲が好きでたまらない男。白藤に挑戦しては負けてばかりいた。しかし、根っからの相撲好き。体重の少なさをなんとかカバーしようと暇をみてはけいこに励んでいた。
そんなある日、地方巡業の江戸相撲一行が岩滝村へやってきて十日間興行することになった。これを喜んだのは村の人たち。そしてヤセの小鷹も、江戸の力士と相撲が取れると大喜び。半面、いやなのがやってきたーと、顔をしかめたのが白藤と倉橋。この二人、村では東西の両横綱。村人たちも2人に期待を寄せていた。
さて初日、倉橋は上手をとられ、あっさり土俵外へデン−。白藤は初日は勝ったものの、二日目、上には上があって、前頭そこそこの関取にあっさりと負けた。「やっぱり江戸の力士は強い」と、村の人たちも村の横綱に失望した。ところが、一人、九日間勝ち続けている男がいた。小鷹だ。桟敷の半分を割っていた観客も、この話を聞き応援に繰り出した。
千秋楽前の九日目夜。江戸のある大関が幹部と密談していた。というのも、江戸相撲が田舎の力士に負けては名がすたる。「あすは十八番の右上手でヤツを絞め殺してやる」と大変なけんまく。
そんなこともあろうかと、様子を探りにいっていた小鷹の親友がこの話を聞き「江戸の大関がお前を殺すといっている。病気かなにかにかこつけて、休場を申し出ろ」と忠告した。しかし小鷹は「相撲はオレの命。土俵の上で死ねれば本懐」と聞き入れない。
いよいよ千秋楽。例の大関と決死の覚悟の小鷹の一番。グッとにらみ合った二人。軍配と同時に大関の張り手が小鷹を見舞い、右上手をとって相手の体を締めつけにかかった。ところが、大関「これで勝った」と顔をゆるめた瞬間、小鷹は大関のまわしをとるやいなや力をふりしぼり、見事な上手投げ。ワーッと座布団が土俵に雨と降った。
体力不足を執念の炎でカバーし、江戸の大関を破ったこの小鷹、岩滝町誌によると、本名は長四郎といい、コンニャク屋高岡義右衛門の六代前と伝えられている。

 

戻る