岩滝の教育 12
岩滝小学校(2)


明治5年の学制によると、当時与謝郡は前述した如く豊岡県の管轄に属していて、学区は第12、第13の2大区に区劃されていた。すなわち、国分村(宮津市国分)以北を第12大区と称し、この中に3小区があった。
男山村(岩滝町)以南、すなわち、加悦谷、宮津、栗田村に至る区域を第13大区とし、この中が更に5小区に分けられていた。
岩滝は第13大区5小区に属し、上山田、下山田、弓木、岩滝、男山の五ヶ村が第5小区を構成していた。
明治6年には改正小学令が公布され、岩滝小学校はこの法令に準拠して明治6年7月15日に創立された。に比べておくれた。
須津、弓木、岩滝、男山の4ヶ村組合立小学校を岩滝村の民家、すなわち、小室利七宅、当時通称山家屋大本屋、現与謝野町字岩滝小字大風呂1199番地の1に設けた。
当時の校名は岩滝校であった。明治9年、校名を「弘道校」と改称した。
明治9年に管轄が京都府にかわった時、当時の槙村京都府知事は府下の多くの学校に名をつけた。本校もその一つで、知事の書である「弘道校」の額(明治9年11月の書)が近年まで保存されていた。
明治11年3月、岩滝村千賀良助の家屋を購入し、ここに学校を移した。
当時この校舎の一部を岩滝区務所にも使用した。これが旧岩滝町役場である。


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