岩滝の教育 38
社会教育(6)
公民館(4)


岩滝分館(公会堂)−1−
場所 岩滝一八〇一番地ノ二
敷所 一七四坪七 木造瓦葺平屋 延 四五坪
慶応四年(一八六八・明治元年)六月上棟
楠田善右衛門、川田孫七
現代の如く娯楽機関の無かった徳川時代には、角力と芝居が地方農村唯一の娯楽であった。
角力の地方巡業、芝居の旅役者は、年中絶え間がなかった。この趣味の普及は神社のある処、土俵が築かれ、村々に狂言場(舞台)が建築され、それが一種の誇りでさえあった。
すなわち、石田は木積神社境内に、弓木は玉田寺裏に、男山は庵寺(あんでら)の隣に、そうして岩滝は公会堂がそれであった。狂言が若社中(青年団)の年中行事の一つであったと同時に、狂言場は若社中に所有権があった。
岩滝公民堂が慶応四年に改築されたときは、三十八隻の大船をもって日本海々上王を誇っていた。小室初蔵が若社中を牛耳って居り、更に当時の若地中は一種ボス的存在であった上に、富力に於て並ぶ者なき初蔵が矢面に立っていたから横暴と評される行為も一、二ではなかった。


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