岩滝の教育 48
社会教育(16)
青年団 −3−


2.岩滝青年団(1)
 明治維新前の青年団は若社中と称し、どの村にも存在していたが、事業は主として狂言と相撲、盆踊りといったものであった。従ってどの村にも狂言場(舞台)があり、相撲の「化粧まわし」を所蔵していた。
 明治の初め弓木の貞風社、男山の好友会に対し、岩滝は朋友社と命名し、数え年十六才に達すると同時に必ず入社せねばならぬこととなっていた。旧藩時代から男子十六才に達すれば元服と称し烏帽子の代りに羽織を着て、士人の烏帽子着に做った。父親と共に節分の日を期し、氏神に参拝し必ず親方取りをした。村で一流の旧家豪家を親方に頼み或時は金を、或時は智恵を、又或時は名を、力を借りるのであった。
 節分の日に角樽(つのたる)と籃肴(かごさかな)をたずさえ、父親が附き添って其の家へ伺い親方、子方の盃をする。山家屋、大千賀、大糸井、米品といたいわゆる大家は何十人の子方を持っていた。
 この朋友社の若者たちも結婚と同時に自然退社するのが習わしであった。
 社員は税金の戸数割一人前、又は以下の家は平(ひら)、一人以上の家は中(ちゅう)、五人前以上の家は上(じょう)と三種に区分され、社費として中は平の二倍、上は中の二倍を負担した。そして役員は世話人三名を互選し、任期一ヶ年であるが世話人の選出は平に限られた。外に使頭(つかいがしら)一人、そして新入りの平の社員は一ヶ年間使番をしなければならなかった。役員の交替期は毎年盆(旧七月)十四日。舞台の化粧室が会議室で、ここで総会も役員会も開かれる例であった。


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