岩滝の教育 5
岩滝の寺子屋(1)


称名寺
称名寺では檀中も230軒であり、それに反して家族が多かったところから自然と副業の必要に追られ、家伝の灸と並び寺小屋が重要視された。この点からしても岩滝に於ては本格的な寺小屋であり、生徒数も多かった模様である。
内容は読書、習字、算術の三科目で、住職・日野正行の他、時武吉次(のち天理教・教師となった)が助手をつとめていた。
学習時限は一時間習字をし、真黒になった草紙を戸外の木の枝や竿につるして乾かし、次の一時間は読書、その次は又習字という方法で、昼食は各々自宅に帰って食べた。
又、習字は一週間習いそれを清書し、それに朱を入れてもらい、次の手本が渡された。
生徒は時に増減はあったが、平均2、30人で、中には3、4年続けているものもあった。
入学の際は、あん餅、麦饅頭等を全生徒に2個宛配って父兄が挨拶に参上する慣習であった。
岩本神官
現在の宅は板列神社前であるが、元は天神山下で、現在の柴山由蔵宅の2倍程の処に祈祷所があり、それに続いて丁字形に藁葺の本宅があった。
祈祷所の一部には庚申さん粟島さんが祀ってあり、参拝者も少くなかった。
岩本家は元、山伏で法螺貝を吹き、錫杖をたずさえ大峰登山の先達に任じた程の家で、織田信長時代、常陸国から来た弘伝上人の末孫と伝えられ、明治7年(1874)岩滝360戸が男山八幡神社の氏子より離脱し、板列神社を氏神とする事となり、岩本多美が神官となった。
多美の長女に但馬から迎えられたのが元明である。元明が古事記伝48冊を暗記する程の人であり、漢学の造詣も深かったので10余人の弟子が集っていた。糸井六左衛門、小室洗心等もその当時の子弟である。


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