岩滝の教育 51
社会教育(19)
青年団 −6−


2.岩滝青年団(4)
 狂言は朋友社時代に及んでは数える程しか興行されなかったが、若社中時代は毎年の行事であり、金持ちが金を惜しまず投じたから衣装とか舞台装置とかは無類の立派さだったが、芸の拙劣なことも亦定評であった。
 次に相撲は毎年氏神の例祭に余興として奉納され、之も朋友社の行事の一つであったが3月15日の境神社の祭典にも社殿の東側に土俵が築かれ、朋友社10人許りが見事な化粧廻しで揃いで土俵入の式を行った。
 今日の野球にも比すべき旺な運動競技に力石があった。広小路の片隅に円型の御影石、重量は最低十貫匁、最高25貫匁位のもの7、8個が転がしてあり、春暖の候から秋冷の時まで、夕食後朋友社員は皆ここに集り、その力石を抱え上げて肩に載せる、力持ちの練習であり、競技であり、興味も自ら湧いて知らず知らずの間に体力を向上するのであった。
 明治の中期、機械体操がもてはやさるる時迄続いた。今尚力石の1、2が広小路の一隅に残っている。
 芝居・今日の映画のような娯楽機関の無かった時代には相撲と芝居が最も賞讃され、興行元は多くの場合朋友社であった。春秋二季必ずといってもいい程、広小路の三方に板囲いして木戸を打ち、大体三晩位続いた。


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