岩滝の教育 53
社会教育(21)
青年団 −8−


4.岩滝村弘道青年会の設立と国の干渉(1)
 前記のように岩滝における青年の状態を具体的に述べてきたが、これは単に岩滝だけの青年会、青年団だけではなく、明治末年頃までは全国どこでも古い民俗にしたがって村もしくは大字の単位で「若者組」とか「若衆組」という、自主的な組織をもち、所によっては娘たちもまた、夜業のとき集る「娘宿」を中心とする組織をもっていた。
 与謝郡に於ては明治維新前から「若連中」「若衆」と称する青年の団体があって、祭礼、盆踊り等をする場合の中心となり、防火、防水、山林の監視等を行い、あるいは角力、力持等により体力を練ったが、一方に弊風も少くなかった。
 休業日に会合を催し、食物、酒類を持寄り終日終夜牛飲馬食をし、甚だしきに至っては、徒党を組んで遊里に流連し、結婚祝儀等の妨害をし、中には義太夫に耽り、芝居等を練習して之を実演する等、風儀を乱し、時間を徒費するというようなこともあった。
 
 
 しかし、上下の別を重んじ、礼儀を守り、団体の慣習を乱す者はなく、頗る意気に富み、相互の制裁厳しく、厳然として侵すべからざるものがあった。
 維新後是等の弊風に対する取締りが厳重になったこと、村人の構成が職業的にも一様でなくなり外部との往来がひんぱんになってくると、青年のまとまりもゆるんできた。
 更に、学校教育の影響と、中堅幹部の徴兵、応召とによって青年の結合は次第に薄弱となり、社会の進歩につれて修養を主として結社をおこし、あるいは有志相会して夜業をするようになった。


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