岩滝の教育 54
社会教育(22)
青年団 −9−


4.岩滝村弘道青年会の設立と国の干渉(2)
 与謝郡では、明治27、8年の戦争を経て青年の自覚が高まり、壮丁教育程度の調査に鑑み、同37、8八年戦役を利用して青年会の設置を奨励した。
 明治40年5月24日、第1回与謝郡小学校長会に対し、与謝郡青年団並に各町村青年団創設についての諮問案が提出され青年団規約が作成された。
 明治41年10月に青年会準則及青年会実施に関する概要が示され、青年の準拠すべき標準が明らかにされた。
 明治41年9月16日、与謝郡斬民会が設立され、各町村青年会は1、2ケ町村を除き○○町(村)斬民会青年部と改められ、智徳修養、実業思想奨励、風紀の振粛、兵役の義務等の4項目を挙げて努力することになった。
 しかし、斬民会は甚だ振わず、青年部は自然独立の姿となり、益々発達したが、次のような弊害もでてきたといわれている。すなわち、
 大正2年10月7日、府学第7399号に依ると(大意抜萃)「青年団体の発達は漸く著しきを加え、智徳の修養、風紀の改善、共同思想の涵養、其他農事改良、副業の振興、夜警、消防、時報等各般の事に渉りて活動の状頗る見るべきものあれども、其の勢力を恃みて政治運動に干与し、或いは之れを利用して濫りに町村政に容喙する等、常軌を逸する行動なす者あり、深く寒心すべき事なり。」戒飭(かいちょく)の通知があった。
 とくに大正4年(1945)ごろからは陸軍省、内務省および文部省が共同して青年団の指導育成にきわめて積極的にのりだした。
 青年団の組織も陸軍省の田中義一らが、中心になっておしすすめた。


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