岩滝の教育 55
社会教育(23)
青年団 −10−


4.岩滝村弘道青年会の設立と国の干渉(3)
 日露戦争から第一次世界大戦後にかけて、資本主義の急激な発展にともなって「若者組」「若衆組」の古いまとまりに急速な変化をもたらせた。こうした状況のもとでは古い自主的な「若者組」を国→府県→町村役場が指導、助成する官製の「青年団」へつくりかえが進んだ。
 大正4年9月、内務、文部両省が青年団の完全な発達をはかるための必要から訓令を発し「青年団体は修養の機関であって、品性の向上、体力の増進、実際生活、智能、剛健、勉励よく国家の進運を扶持する精神を養い以て健全なる国民、善良なる公民たるの素養を得せしむるを本旨とす。」と明示し、団員の年令20才までとする自治的組織で、団長及び其の他の役員は団員中から推挙し、費用は団員の勤労によって得たものを充て、地方の有識者は指導者として立つべき方針をとらせた。

 与謝郡すでに京都府の示したように団員の年令を25才までとしていたので、其の他は、内務、文部両省の趣旨を徹底させる努力をした。
 爾来各地の青年会は名称を青年団と改め、団長は学校長、町村長、有力者等であったのを漸次団員中から出す所も多くなり、幹部も殆んど30才近くの者から出ている青年団も少なくなかったが、若い団員がこれに代り、町村から出ていた補助金も削除されるようなところもあって一時動揺と不安とに襲われたが上下官民の指導が加えられ、青年は益々自覚して修養に努める傾向を生じてきた。
 その後第一次世界大戦の影響によって、経済界の変調と、思想の動揺に伴い、華美頽廃の気分が青年を侵そうとしたが、たまたま体育運動が盛んになり、補習教育も発展し、修養的な会合も頻繁に行なわれて実績があらわれてきた。


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