岩滝の教育 7
岩滝の寺子屋(3)


ロ.弓木の寺小屋
堀口夫妻と玉田寺
弓木字大内(現、池田三郎屋敷)で安政年間(1854〜1859)堀口佐兵衛、妻よつが弟子30人ばかりを教えていた。男子は読み書き、そろばんで、女子は茶道、華道、裁縫などであった。
又、弘化、嘉永(1844〜1853)のころ、玉田寺の隠寮で当時の住職が読み書きそろばんを教えた。
ハ.男山の寺小屋
木下医院
男山の寺小屋で第一にあげられるのは木下氏である。彼は何時の時代かはっきりしないが、但馬から転住した人であり、岩滝は勿論、須津からも多くの患者が訪れたので生徒に接する時間がなく、実弟の伊織が専任で教鞭をとった。ところが、伊織の涎(よだれ)は名高く生徒のうしろから手を添えて習字を教えるのに、彼の涎が生徒の首元へ垂れることしばしばで、之には生徒も困ったという話がある。
毛呂神官
八幡神社の神官毛呂氏、歴代の内寺小屋を開設した人があったと伝えられる。
美稲。彼は旅書家であり、瓢然男山へ現れたもので、頼山陽流でも、弘法大師流でも、王義の流でも上手に真似るので、表具師や画商に重宝がられた。彼は国語、漢文の教養も浅からず漢詩も作り、天橋立の長歌なども書き残している。乞われるままに滞在して寺小屋を開くに至った。
生徒は小学校を終った農家の子弟が大部分で、冬期の外は雨の日か夜間に行われ、主として漢籍の素読と講義及び習字であり、時間は不定で生徒数も絶えず増減した。
後年、字が上手だとか、漢詩文の解読の出来る人の多くはこの門下生であった。


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