岩滝の歴史 −24−

室町・戦国時代(前編)@ −一色氏と丹後−


丹後の守護となって、建部山(舞鶴市)に城を築いた足利泰氏。この4男公深(きみふか)が一色の姓を名のった。
足利泰氏−公深(一色氏)−範氏−範光−詮範
範光は父範氏、子詮範とともに足利尊氏に従い、九州に下って諸処で勤王の軍を破り、尊氏再挙の基を開いた。
尊氏はその恩賞として、範光父子に丹後一円を与え北の守りに当らせた。丹波は尊氏ゆかりの地である。京都の幕府を開こうとする尊氏にとって、丹波、丹後は重要な基地である。
一色範光は延元元年(1336)8月、加佐郡八田(舞鶴市)に館を構え、子の詮範とともに守護の職についた。

範光に従う諸将3000騎、その持城282ヶ城。丹後5郡のほとんどすべての部落に一色の城があった。

父の範氏は、宮津の市場の城にいたという説と、九州の探題にとどまっていたが、約20年後の正平10年(1355)官軍のために追い払われたとも伝えられている。

延元3年(1338)南朝方の北畠顕家、新田義貞相次いで討死し、足利尊氏は京都にあって「将軍」と称した。北朝暦応2年(南朝延元4年−1339)後醍醐天皇が吉野で逝去した。
尊氏は、多僧夢窓疎石のすすめで天皇の霊をなぐさめるために、荘園1万貫を寄進して、嵯峨に天龍寺を建立し、貞和元年(1345)供養の式を挙げた。
北朝観応2年・南朝正平6年(1351)、足利義詮(よしあき)が南朝の味方をし、後村上天皇が京都におかえりになり、足利尊氏が南朝に降って、弟の足利義直を討った。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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