岩滝の歴史 −38−

室町・戦国時代(前編)N 

−一色義幸−


後奈良天皇の大永7年(1527)丹後の守護武田元光が丹後の海賊を加佐郡で破ったと伝えられている。海賊というのは一色が途中妨害をさけるために海上から若狭に攻め入ろうとしたものではなかろうか。
一色義幸の軍が若狭の国小浜の西津浜を襲ったが反って元光に撃退され、加佐郡で敗れたといわれている。

天文15年(1546)足利義輝が十三代将軍となった。
翌16年若狭の武田元光の軍が丹後に攻めて来た。一色義幸これを下宮津に迎え討ち、一色方奮戦してついに武田勢を追い返した。普甲寺はこの時の兵火にかかって焼失した。
翌17年、武田元光再び丹後に攻め寄せてきたが、また義幸のために追い返された。

天文20年7月(1551)丹後守元光が病死し、その子伊豆守信豊が丹後の守護職を継いだ。
天文24年(弘治元年1555)武田信豊が病死して、その子大膳太夫義純が丹後の守護となったが、一色氏の丹後の地盤は依然としてゆるがなかった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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