岩滝の歴史 −39−

室町・戦国時代(前編)O 

−御檀家帳−


御檀家帳は、伊勢の度会の神主、すなわち外宮の御師福井末高が丹後の国の檀家を書留めたもので、与謝、中、竹野、熊野の四郡の村々、家数、城主家臣、寺院山伏など詳しく書きしるしたものである。
その製作年代は天文7年(1538)、将軍義晴の時で(丹後旧事記には天文9年11月とある)、「田数帳」から80年後に書かれたものである。

これによると岩滝は、戦国時代には男山、岩滝、弓木にそれぞれ城があり、城主によって治められていたことがわかる。中でも岩滝の蒲田氏が広範囲にわたって勢力をもっていたのではないか。
弓木城主稲富氏は「田数帳」で見ると所領多く「御檀家帳」には「大なる城主」となっている。一色氏の中でも相当重視されていたのではなかろうか。それにしても、これまでに一色氏の危機は幾度となくあったのに、稲富氏の名が現れなかったのは何故か。

一色氏滅亡の際、稲富伊賀守一夢斉の活躍までその名の現れなかったのは不思議である。
「御檀家帳」には「ひを(お)きくわた村家八十軒斗(ばかり)」「日置竹森村百軒斗」「石川の田中家五十軒斗」等々、所々にその土地、村の戸数が記されているが、岩滝における戸数を知ることができない。もし、岩滝の戸数、人口等を知ることができたら、我が岩滝町発展のあとが明らかになって、更に貴重な文献になったであろう。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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