岩滝の歴史 −26−

室町・戦国時代(前編)B 

−一色詮範(兵部少輔、信将、吉原左京)−


丹後の守護山名満幸(みつたか)は、再三建部山城を襲ったが、一色範光、詮範、詮範の子満範は、孤城を守って敵を追いかえした。
足利泰氏−公深(一色)−範氏−範光−詮範−満範
後亀山天皇の北朝嘉慶2年、南朝元中5年(1388)正月、範光(慈雲寺殿)が世を去ったので、詮範父子は建部山城を守り通すことの困難を知り、330騎(一説には220騎)を従え、吉原左京と名のって丹波郡(中郡峰山町)吉原山(山祇山:やまずみやま)に立てこもった。

詮範父子が建部山城を捨てて吉原山に引き退いたことを知った山名満幸は早速大軍をひきいて追討ちをかけた。詮範はついにささえきれず、山名方に降参した。
一色氏は建武3年八田に入国して以来、52年にして丹後の国全部を失ったのであるが、与謝、加佐、中、竹野、熊野郡の豪族(地頭)の中には一色氏にひそかに好意をもつものがあり、奥丹後(中、竹野、熊野郡)における一色氏にひそかに味方する諸将は尚健在であったので、詮範は他日を期して自重していた。

山名満幸は、一色詮範が足利将軍と同じ家柄でありながら、吉原左京と姓名をあらためて謹慎している心情に同情して山名の陣代(代理、代官)として吉原山にとどめ、奥三郡の支配を代理させた。これは、奥三郡の事情に明るく、しかも人望のある詮範を利用することが好都合であったからであろうが、一色氏にとっては、再起の糸口を与えられたことになった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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