岩滝の歴史 −59−

室町・戦国時代(後編)O 

−稲富伊賀守−


この時、弓木城主稲富伊賀守祐直(すけなお)は細川に降って忠興の大阪屋敷にいた。
大阪城中には、彼の鉄砲術の弟子が多かったが稲富が巻添えをくって討死することを惜しみ、鉄砲の稽古を口実に彼を城内に呼び入れていた。しかし、大阪屋敷の悲劇を目のあたりに見た彼は、細川の知遇に報い得なかったことを恥じたためか、大阪城を抜け出し「一夢」と号し、諸国をさまよい歩いた。

忠興は、妻子を見捨てて大阪城内にいた稲富の冷淡さに憤激していた。
徳川家康は、慶長15年(1610)一夢が、伊井家や、徳川中納言らにかくまわれていることを知り、忠興に彼の罪を許させ、江戸城や駿府によんで、家中の者に鉄砲の秘伝を習わせた。
稲富一夢は、後、徳川義直に仕え、慶長16年(1611)2月駿府城内で没した。宮津の文殊智恩寺境内には彼の供養塔がある。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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