岩滝の歴史 −62−

室町・戦国時代(後編)R 

−段銭と棟別銭−


これまでは、皇居の修理、天皇の即位、大嘗会、社寺の修理は朝廷の仕事であった。こういう仕事を行うために経費が必要であれば、荘園、公衛領をとわず一律に田畑一段ごとに何文というようにわりあてられた。この種の税を段銭といった。
室町時代になると、今までは朝廷の仕事とされていた皇居の修理などすべて幕府が引き受けなければならなかった。幕府財政にとっては大変な重荷になった。その支出を補うために幕府は頻繁に段銭を取立てた。
棟別銭は家屋のむね数に応じてかける税金で、段銭と共に諸国の農民から取り立てた。段銭、棟別銭は、もとは臨時課税であったが、しだいに恒常課税のようになり、のちには月に何回もかかるようになった。
与謝郡誌の御檀家帳の注を見ると、康正段銭に五貫匁、大江文清殿、丹後国板並同方段銭とは是れならんか・・・とある。康正(1455〜1456)は、足利八代将軍義政の時である。
段銭は幕府の段銭奉行が扱ったが、取りたては、守護や地方の有力武士に任された。
かれらは、徴収の名目で荘園に入りこみ、乱暴をはたらき、また「国役」の名目で守護自身も勝手に段銭をかけるようになった。
地方の有力武士といわれる者の中には地頭も含まれていたのではなかろうか。こういうことも地頭が庶民に恐れられた理由の一つであったと考えられる。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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