岩滝の歴史 −63−

室町・戦国時代(後編)S 

−室町時代の仏教と岩滝の寺院−


足利義満は鎌倉の五山に対し、京都の五山をきめた。
京都、鎌倉の臨済宗の禅僧たちは、五山十刹という幕府の保護を受け、足利政権と手をにぎり、政治、外交にタッチし、また詩文を弄んで、本業の宗教活動をおこたっていた。
同じ臨済宗でも、妙心寺は創立のはじめから、南朝と密接な関係をもち足利氏を敵にまわしていたので、その後も反足利であり、義満をおこらせ寺領を没収された。その上、寺の建物は破壊され、寺僧は京都から追放された。

幕府の弾圧をうけた妙心寺派の僧たちは進んで諸国に妙心寺派の根拠地をつくって積極的に布教活動に専念した。生死の境に身をおく武士たちには禅僧の説くことがよく理解された。また禅僧から与えられる学問、教養もあわせて吸収した。
このように、地方に進出して禅をひろめたのは禅宗の妙心寺派ばかりでなく、曹洞宗の禅僧たちは更に活発な布教活動をした。
地方の禅宗寺院の多くが室町時代の中末期時代につくられているのであるが、中には真言、天台などの旧仏教から禅宗に転宗したものもある。禅宗の寺院には大名の菩提寺、氏寺になっているものが多い。

岩滝町字岩滝の浄土宗本契山西光寺がいつ建立されたか明確でないが、開基の慶誉上人は天正8年(1580)に入寂していることから考えて、大体この頃の創寺であると推察することができる。
岩滝町弓木にある靈苗山玉田寺は天正元年(1573)に一色氏が香華院として再建し、寺名も現在のように称したといわれている。天正元年は足利十五代将軍義昭の時で、足利氏はこの年亡び、元亀が改元されて天正となった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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