奈良時代A

−丹後は中国?−

丹後国が設けられ、与謝郡府中に国府が置かれたことはすでに書いたが、国には大小によって、大国・上国・中国・下国の4等級に分けられており、丹後国は、4等級のうち中国に属していた。

丹後が丹波から分離する直前の和銅3年(2年ともいう)4月前任の大神朝臣拘麿(おおかみあそみこよまろ)に代わって丹波の国司になったのは従五位上、佐太忌寸老であった。(これも弓木と関係がありそうである) 丹後の国が生まれた当時の国司は、丹治比真人(たじひのまひと)であった。真人は文武天皇の臣下で、比沼の真名井原にちなんで丹治比真人という名前をつけたと言われているが、一説には、15年後の天平4年でもあるとも伝えられている。
参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月

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