奈良時代B

−岩滝は与謝郡拝師郷−

国の下に郡がおかれ、郡の役員を郡司(ぐんじ)といった。郡司には大領・少領・主政・主張などがあった。
郡司は中央から派遣されるものでなく、その土地の人の中から、国司によって選ばれ任命された。その多くは大化以前に国造であった地方の名門や、豪族が選ばれた。

和名抄には、与謝郡に宮津・拝師・物部・山田・謁叡・神戸の7郷があるが、各郷の位置は異説が多く、はっきりしていない。
元来、大宝令に規定されている郷は、家50戸を以って1郷としているので土地の広狭によるものではない。だから山地が多く人口稀薄なところは広大な範囲をもって1郷を組織しなければならない。
風土記逸文に「与謝郡東北隅に速石里」伝々とあるのを見ると、拝師郷は、また速石郷とも書いたことがわかる。
地理資料を見ると、今の岩滝町から伊根町までの範囲が拝師の郷であったのではなかろうか。府中・国分・男山・小松・中野・大垣・伊根・江尻・難波野・溝尻・岩滝・弓木の諸邑たがいに古の郷域を為す。
参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月

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