岩滝の産業 100
ー その他の工業 ー
滅びていった工業(1)岩滝縞


岩滝縞 今は見ることができないが、かつて岩滝町には「岩滝縞」という木綿織物があった。其の地質が丈夫であったこと、変色しないこと、又、古雅で一種の風趣があったため一時は有名であった。
「岩滝」の名が方々で聞かれるようになったのは「岩滝縞」で紹介されたからであるといわれた。
しかし、この「岩滝縞」が何時頃から誰によって工夫され、織り出されたものか記録もなく、口碑伝説もない。「岩滝村誌」には古老の説として、明和年間(1764〜1771)に始ったのではないかといっている。
野田川下流の海岸に沿った地域は俗に「棉根」といわれ、砂地(沖積層)であって、棉や大根の栽培に適していた。これは、この地帯が広々としていて日照時が永く、海に近いため汐風が吹き抜け病虫害の発生が少ないなどの理由があげられている。
この小字野田(棉根)で栽培した棉花を紡いで、藍、うどん粉、椿、ホーソ、チャンチン、色土などで染めた。
「註」 ○ホーソ。ほうそ(柞)ははそのこと。ははそ=ナラの古名
○チャンチン。センダン科の落葉喬木。中国原産で、わが国に庭園樹、街路樹として移植された。幹は直立し、高さ約10メートルに達する。枝葉ともに臭気があり、葉は羽状複葉、各小葉は長楕円形。6、7月ごろ小形の白い花を開き、楕円形で茶色のなめらかな果実を結ぶ。木材は家具、器具用に用いられる。若葉を食用にする。(広辞林)

繊維が長いのと艶があるので好評。経糸の所々に生糸を混入した高級品も作った。
用途は、着尺、ふとん、座ぶとん等。
最初は単に自家用として、小量を製織する外、宮津藩士の微禄なものの主婦が内職として織っていたが、次第に声価があがり、其の需要も増加してきて、遂に少量ながら全国に販売されるようになった。これを「縞売り」という行商によって売りさばいている。


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