岩滝の産業 104
ー 金  融 ー
岩滝町における金融機関(2)


イ.農商銀行、貿易銀行、通商銀行、宮津銀行、丹和銀行、京都銀行、

日清戦争後の好景気時代、岩滝村には郵便貯金の外、金融機関がなく、その必要を痛感し財界人がよりより協議を進めたが、株式会社を新設するには微力であり、又理解も乏しかったので手っ取り早く支店を誘致することとした。運動その効を奏し、京都農商銀行が設置された。
支店長蒲田善助、行員小室房治、糸井信太郎、小室三二等が就任し、当時、しもたやであった小室佐喜蔵家を借りて看板をあげた。
爾来順調に運営されていたが、数年後には経営困難となり貿易銀行に身売りした。
同行頭取川登は予て知り合いであった京都税務署長前田某を岩滝支店長に任命した。行員は糸井信太郎、小室房治、小室三二の三名であった。
経営も良好であったが、十年後前田支店長病死し、又貿易銀行も不振となったので、伏見通商銀行に肩替りし、通商銀行岩滝支店となった。小室房治支店長となり、小室三二行員を辞任し、半海要吉その後をついだ。
ところが、数年後には通商銀行も支店を閉鎖するというので宮津銀行に乗り替えた。間もなく昭和2年3月7日の丹後大震災となり、支店の家屋が全潰したので前隣の糸井勘助の空き間を借り、ここで営業すること約半年、次に糸井信太郎宅に移転した。ついで小室房治は勇退し、糸井信太郎が支店長となった。やがて糸井時蔵家(立町)買収の相談がまとまり支店を立町に移した。二年後糸井信太郎四辻支店長に転じ、半海要吉が支店長となった。
爾来十年余、太平洋戦争により昭和16年企業整備令に従い、丹後の各銀行が合同し、丹和銀行と改名し、本店を京都に移し、京都銀行となった。


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