岩滝の産業 11
ー 農 業 ー
地主と小作人(1)


小作料は、田畑共に米納が普通であったが、小作者の都合によって金納しても差支えなかった。金納の場合は米価に換算した。その場合の価格は各町村又は部落において年毎に定める地方相場に従った。
小作料は、土地の便否、地味が肥えたり痩せたりしていることによって一定していないばかりでなく、小作の需給関係によって異動もあり、天災地変や、又は天候の不順によって収穫の少ない場合はその状況により、減免の話合をして決定した。
小作料の納付期限は、収穫後年内に完了するのを原則とし、金納の場合には12月の陰暦大晦日を期限とし、期限後は、金利をつけるのが普通であった。
期限内に納入した者に対しては、地主から小作人に酒食を出して慰労することもあった。
大正4年、京都府が米穀検査を実施するようになってからは納付米の等級に応じ、奨励米を交付して、米の品質向上によって生じた利益を小作人に均霑させる慣行が生じ、容量は従来4斗2升であったけれども、検査実施以後は総て4斗俵に改められた。
土地に賦課される公租は全部地主が負担し、井堰、小路等の開さくは、或時は地主が負担し、或時は小作人が負担すつ等、時と場所によって話合によってきめた。
終戦までは明治維新前における親作、小作の関係を続け、特に小作証書をとったり、期限を定める等の手続はとらなかった。
双方に紛争の起らない限り、相互信用を重んじる慣行で不都合はなかった。
土地の賃貸に就ては其の土地に対する古来よりの一定の率があって、之により借主は地主に年貢米を納付する習慣であったけれども、又、小作人と地主との隨意契約によって適宜に率を定めるものもあった。
また天災地変等のため収穫が減少した場合には小作人から減納、もしくは免納を願い出るという習慣があった。「此の事(減納、免納)については平年でも種々の口実を設けて年貢米の減額を要求するの悪風がある」
(岩滝村誌)
以上は岩滝村誌の記述であるが、大正の初年の小作料を把握することは困難である。

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