岩滝の産業 28
ー 農 業 ー
岩滝と米騒動(1)


大正7年(1918)の米騒動に先立って、明治23年(1890)に各地で米騒動が起った際、岩滝でどのような動きがあったかを伝える興味ぶかい記事が「日出新聞」7月11日号に出ている。すなわち、岩滝村近傍の農民多数が窮乏し、村費などの滞納者が増加したのに対し、臨時村会では貧民賑恤の目的をもって村費を10分の3減額してはとの論が起ったという具体的なことはわからないが、あるいは何らかの措置がとられたのかも知れない。
米価の暴騰により、大正7年米騒動が全国各地に起った際、余波は丹後にも及んで、中郡大野村を始め、2、3俄かに廃業する米穀商もあったが、岩滝町では町長、区長等、いち早く鳩首会議し、特志寄附により、之が防止の対策を立てた。
町の古老の談によると、
「たしか、1升24、5銭の米が、4、50銭にはね上がったものを特志寄附で集めた金で助成し、米穀商から消費者に30銭台で渡されたと思う。当時岩滝町内の米穀商は、白数鶴蔵(石田)糸井善四郎、広野清治(以上弓木)米華為吉、広野定吉、糸井市平、岩田市造(以上岩滝)高岡定吉(男山)で、いづれも町の方針に協力し、何等事なきを得たのであった」そうである。
当時の岩滝町のとった方法は、食料管理法に似たところがある。すなわち、政府の補助のかわりに町が米穀商の損失を補填して、消費者に安い米を配給するのと同じ方法であって、当時の関係者、指導者の先見の明には全く驚異の外ない。

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