岩滝の産業 83
ー 商 業 ー
商業の発達につくした人々−1−


7、商業の発達につくした人々

イ 山徳、小室徳蔵初代、二代初蔵、実弟市蔵
宝暦(1751〜1763)明和(1764〜1771)から明治に及び大船を利用し、初めは2、3艘であったが、ついに38艘に及び、大阪を起点とし北海道、エトロフまで取引を盛に行い、一時は、日本海の海上王であった。

ロ 千賀両助、同定又(さだはる)
千石、八百石、五百石等の巨船十艘を所有し、小室家と競争的に回船問屋を営んでいた。

ハ、糸井勘助初代及び二代
前、両者の後を受けたのが、糸井勘助、初代及び二代で千石以下三艘で明治30年(1897)頃に及んだ。
ニ 小室理七(初代)利七(二代)
理七、利七を初め父子3、4代にわたり、大々的に丹後縮緬製織の元締をし、加悦谷の各町村はいうに及ばず、中郡、竹野郡の全域に及び、歩機、掛機組織に依り、原料を供給し製造を統一、一括して京都市場に出したので、約20名の京定便が年中、間断なく岩滝、京都間を往復していた。分家佐喜蔵、守蔵、八蔵、松蔵、仙蔵等、山家屋一族皆之に関係していた。
京都にも小室屋、丹後屋という出張店を設けて一大勢力を誇っていた。

ホ 蒲田久兵衛、糸井品蔵(米品)
両家も小室家と同様、京都市場に進出し、縮緬の製造、販売を以て資産をつくりあげて有名であった。

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