岩滝の産業 86
ー 商 業 ー
岩滝港と農業の関係 −1−


岩滝は奥丹後地方の重要な商業上の地位にあったばかりでなく、湊としてこの地方の農業にも密接な関連があったのである。総べての農産物は岩滝に集荷され、ここから積出されていた。当時の岩滝の廻漕問屋によって取扱われた。立命館大学人文科学研究所紀要にこうした時代の記録が集録されているが、そのなかの一部を紹介し往時を忍んでみよう。
和名抄の与謝郡七郷のうち、拝師郷は今の府中、岩滝をふくむ地域であるといわれているが(「与謝郡誌」上)「岩滝」という地名が文献の上にあがってくるのは天文7年(1538)の「御壇家帳」においてである(「丹後史料叢書」)。
そこには「岩滝」「いみの木(「弓の木」)などとあり、岩滝では蒲田佐渡守一門が檀家として名前が記されている。「いみの木」には「大なる城主」「稲富どの」がいるとされている。ここには一色氏の城があったわけである。
近世になって、慶長5年(1600)京極氏が丹後一円の地を領有した。寛永2年(1625)宮津藩が成立したが、それ以来岩滝の地は、与謝郡の他の大部分と同じく宮津藩領であった。もちろん領主はしばしば交替したが、宝暦9年(1759)以後は本荘氏の領分として明治維新に至った。

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