岩滝の産業 90
ー 商 業 ー
岩滝港と農業の関係 −5−


ところで明和‐寛政期(18世紀後半)の文書によれば、一つは文珠切戸が浅くなって阿蘇海‐岩滝への大船の出入が困難になるという条件も出来、他はとくに重大なことであるが、宮津藩より岩滝への他国他領船の入津禁止令が発布されることで岩滝に大きな打撃を与えた(以下の史料については一々文書の名称は記さない。何れも岩滝区有文書)。その間の事情は次のごとくである。他国他船の入津禁止令は宝暦8年(1758)出されているが、岩滝村よりの嘆願により「穀物?塩酒竹木類何によらず当村一村遺料之品買取」るための入船は許可された。 ところが宝暦13年(1763)若州小浜の商人が塩船を夜中に野田弓木村川尻につなぎ、山田村川船によって三河内村へ積登らせて売買したという一件から、再びまた「他国他領船内海江入船御停止」された。それで困窮した岩滝村は明和4年の文書では「此度ハ村方ニ船宿相究内海之儀引請世話為致度奉存候。難相或儀ニ御座?ハバ少々之御運上銀指上候而成共他国他領船入津仕手広ニ諸売買相成候様」してほしい。大船引場、船宿などもある。「往古?船着場之義浜手ニ而渡世仕候村方ニ御座?得ハ他国船入船不仕候而ハ難渋至極奉存候」(明和4年「口上之覚」岩滝区有文書)といっている。この嘆願が聞き入れられたのかどうかよくわからない。

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