岩滝の産業 91
ー 商 業 ー
岩滝港と農業の関係 −6−


なぜ岩滝へ他国他領他領船の入津が禁止されたのか。それを明らかにする寛政元年(1779)の塩船入津の一件がある。すなわち同年岩滝村では塩三百俵を田辺藩より移入したが、宮津の問屋改めを受けねばならないとされ、塩船を宮津に廻したが、問屋は実施せず止むなく再び田辺にこれを返還した。またいままでは宮津藩中買の手を経て買整え塩はもちろん、その外の諸品も、中郡村々などへ売払ってきたのであるから、宮津問屋表で買整えられるようにしてほしいと岩滝側は藩役所に訴願している(寛政元、2年の「口上之覚」岩滝区有文書)。要するに岩滝が最初にのべたように米津出し諸物資の輸出入港として中郡竹野郡村々を自らの商圏の中に組みいれていたのに対し、宮津の問屋資本がそれに対抗してゆこうとして藩権力と結び、他国他領船の岩滝入津を禁止せしめたものであろうと考えられる。 岩滝村の商取引の拡大によって宮津問屋が圧迫され、そのため他所船入津が禁止された事情がある。それに対して岩滝の伝統と特殊事情を述べて、自由な売買がおこないうるよう藩に嘆願しているが、それがどのような解決をみたか、この一連の史料からではよくわからない。しかしのちにのべる幕末の事情から推察すれば、事実上岩滝が他国船入津自由を獲得していたものと思われる。それにしても宮津と岩滝との対立には根深いものがあったと考えてよい。

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