岩滝の歴史 −149−

郡政・府政・国政への参加(1)

−自由民権運動(その壱)−


明治維新後、多くの人たちは人民のための新しい政治が始まることを期待していた。しかし政府は重い地租や諸税を容赦なく取立てたため、農業や工業の自由な発展がいちじるしく妨げられた。また諸外国との間に結ばれた不平等な条約によって、日本人は政治的にも経済的にもきわめて不利な立場におかれていた。
こうした事情を背景として、明治7年ごろから、国会の開設、地租の軽減、条約改正の三つを中心的な要求とする自由民権運動が全国にまき起こった。

明治7年(1874)1月板垣退助ら七名のもと政権の座にあった人々は、民選議員設立建白書を政府に提出した。この建白書は、有司専制を非難し、民選議院の設立をはじめて要求した宣言として、自由民権運動の口火をきる役割を果たしたが、岩滝村の出身である、小室信夫もその一人としてこれに名を連ねた。彼は明治初年に政府の役人としてヨーロッパを視察し、イギリスなどが議会制度をとっているのを見て、日本も立憲制をしく必要があると痛感したようである。

また彼は、井上高格らとともに徳島に自助社を結成するなど、初期の自由民権運動に大きな足跡を残した。彼はその後運動からは比較的早く手を引いたが、資金面では引続きこれを援助したりした。京都府下で丹後地方とくに宮津や岩滝にもっとも早く運動が起こったのは、やはり小室信夫の影響もあったからと考えられる。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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