岩滝の歴史 −161−

郡政・府政・国政への参加(13)

−国会と岩滝町出身の国会議員−


明治二十二年(一八八九)二月十一日帝国憲法が発布され、立憲政体が確立し、国民に参政権が与えられた。
明治二十三年七月、第一回の総選挙が行われ、国民総人口の1パーセント強の有権者が士族百九人、平民百九十一人計三百人の議員を選んだ。
帝国議会は、貴族院、衆議院を以て成立し、貴族院は貴族院令の定むるところにより、皇族、華族及勅任された議員を以て組織し、衆議院議員は選挙法の定むる所によって公選された。

「岩滝村誌」によると、大正四年八月現在において、衆議院議員選挙権を有する者は百三十八人であった。
帝国議会開設以来、岩滝から選出された貴衆両院議員の氏名は次の通りである。

帝国議会岩滝出身貴族院議員
明治二十四年勅選 小室信夫
明治三十一年六月病没

終戦後、国会は衆議院と参議院に改められた。岩滝町出身で国会議員に立候補し、衆議院議員に当選したのは京都府第二区から立候補当選した河田賢治である。河田賢治は昭和二十四年一月二十五日衆議院議員に就任、大蔵委員に選任され、昭和二十六年九月五日アメリカ占領軍の命により国会から追放されたが、昭和四十年七月四日参議院議員選挙京都地方区から立候補当選した。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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