岩滝の歴史 −151−

郡政・府政・国政への参加(3)

−自由民権運動(その参)−


沢辺が岩滝村にきた前後の状況を大阪日報明治14年1月13日付は次のように報じている。
・・・本月2日の夜は宮津山嘉楼に於て市街なる共愛会員新年宴会を開らき、氏を請じて東行の労を謝せり。又3日には同所に於て午後1時より自由懇親会を開き、会する者百余名。(中略)同4日氏は鑚燧社に赴き其開業式を行ひ、午後1時より府中村に赴き同村有志家小松、竹本諸氏が開設する農事相談会に臨めり会員四五十名。翌5日は岩滝村に至る。同村の有志家糸井徳之助、同純三、小室静三、同守造、前沢盛昌、千賀正平の諸氏盛宴を某楼に張り、氏を饗して其演舌を請へり。翌6日同国中郡に至りしに同郡14ヶ村の有志家結合する処択善会なる者(府会議員古巻意平氏等之に幹たり)氏を招じ・・・(以下略)

さらに同年の春、大阪日報には次のような記事が載っている。
○府下丹後与謝郡弓木村玉田寺に於て去1日弘道懇親の第二会を開けり、近傍有志者相会する者無慮百余名あり、会主は同地の有志家糸井徳之助氏にして宴席上神谷徳正、前沢盛昌、木崎清三、川村鋼太郎、沢辺正修等諸氏の演舌があり、余程盛会なりきと。
又同所弘道学校にては学事会議を起し、専ら該校の経済法等を議し傍ら訓導を奨励するの方を設けたりと云へり。
(明治14年4月9日付)

このような各地での活動を背景として、明治14年9月には近畿自由党が結成され、これが同年11月立憲政党となった。同党は自由党の副総理だった中島信行を総理に迎え、大阪に本部をおき、自由党の友党として活動した。関西を中心に明治15年10月当時641名の党員を擁し、その中でも京都府は408名にも及ぶ党員があり、丹後では宮津在住者が圧倒的に多いが、弓木村では次の13名が加盟している。
広野文平、山添増兵衛、糸井徳之助、堀口善兵衛、白数宗兵衛、堀口恰兵衛、糸井善兵衛、三谷隆三、山添久四郎、三谷重兵衛、堀口弥三郎、広野伍左衛門、広野久助
(「立憲政党名簿」)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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