岩滝の歴史 −152−

郡政・府政・国政への参加(4)

−自由民権運動(その四)−


立憲政党は、自由党より一足早く明治16年3月には解党しており、党員も当地方では弓木村だけに限られていた。これに対して、天橋義塾の維持講には岩滝・弓木・男山三村の有力者がほとんど加盟しており、明治17年末まで約10年間に及んだ天橋義塾の活動が、丹後一円の多くの人々によって支えられていたことを知りうるのである。同塾維持講概則によれば、この講に加入した者は天橋義塾社員の名称と権利を得ることになっていた。

そして明治15年1月、500本の株金(1株12円)を募ったが、たちまち所期の目標に達したという。
次に当地方の加入者と株数を揚げておこう。
大阪北区 小室信夫(50本)
岩滝村 小室佐喜蔵(12本)、小室信介(10本)、小室長蔵(8本)、小室静三(3本)、小室竹蔵(2本、以下同じ)、千賀一太郎、前沢盛昌、糸井品蔵(1本、以下同じ)、三上莞爾、千賀正平

弓木村 糸井徳之助(10本)、山添久四郎(2本、以下同じ)、白数宗兵衛、広野文平、木崎泰三(1本、以下同じ)、糸井純三、三谷隆三
男山村 三田久左衛門(2本)高岡市郎右衛門(1本、以下同じ)、三田久兵衛
石田村 白数八蔵(2本)、白数庄右衛門(1本)
(「天橋義塾維持講名簿」)

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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