岩滝の歴史 −153−

郡政・府政・国政への参加(5)

−郡会−


明治十一年(一八七八)郡区町村制発布以前の郡は地理的名称に過ぎなかった。同法は郡を行政区画とし、郡長をおいて郡行政を管掌させた。郡行政長官である郡長は公選制によらず、府県知事の任命した府県の官吏であった。大正十年(一九二二)に法律第六十三号で郡制は廃止されることになり、大体翌大正十一年度限り廃止された。

与謝郡会
これより先、明治二十三年(一八九〇)府県制の制定に際し、始めて郡会が設けられることとなったが、京都府では明治三十二年(一八九九)に府県制が全面改正されるまで郡会は開設されなかった。したがって他府県でそれまで行われた郡会議員の複選制、すなわち間接選は、京都府では実施されなかったわけである。

郡会の議員定数及び選挙区
郡会は明治三十二年(一八九九)三月、法律第六十五号郡制の規定によって成立した。
郡会議員の選挙権は、郡内町村公民で町村会議員の選挙権を有し、且つ其郡内に於て一年以上直接国税年額三円以上を納めるものに、被選挙権は其の郡内に於て一年以上直接国税三円を納めるものに与えられた。
郡会の組織、議員定数、選挙区、ならびに各選挙区において選挙すべき議員の数は郡制第五条にもとづき、郡内二十五町村を各選挙区とし、人口三千人未満の選挙区は一人、三千人以上六千人未満の選挙区二人、六千人以上は三人と定め、府県知事の許可を得て郡長がこれを告示した。
与謝郡二十五選挙区の議員総数は二十九人で、岩滝村の議員定員は二人であった。
その後、雲原村が、天田郡に編入され、また、栗田村、養老村では各一人を増し、議員総数は三十人になった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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