岩滝の神社寺院 41
寺院(11)
西光寺(7)


庭園 約280坪、時代江戸末期 作者不詳
様式 廻遊式 手法 築山、池泉を主とし、石組、刈込を配す。特色自然幽寂。
 平庭の東側一部は江戸の造作師、江戸金が田辺(舞鶴)牧野候に迎えられた序次(ついでに)手法を残したものであると伝えられている。
 鐘楼前の小庭に小祠がある。唐銅製の地蔵尊を安置し、北向き地蔵と云われているが、作者、由来共に不明である。
 大阪の大儒として名声の高かった篠崎小竹の天橋紀行を見ると、小竹は天橋を見て城崎温泉に入湯する予定で大内峠を越えたのであるが、その際、小舟で岩滝へ、そして西光寺に一泊した。其の夜碁自慢の和尚と鳥鷺を斗わして、全勝を得たことが興味深く記述してある。
 更に明治初年、京都に塾を開き漢詩を以て聞こえていた林双橋が糸井秋石の案内で当寺を訪い、杖にするために後園の班竹を乞い誌を賦して謝意を表した。(秋石伝参照)
 明治20年にはホトトギス派の俳人として有名な野村泊月が、東洋紡社長、関圭造と共に来訪して、即興句を残している。
 又、岡山新聞記者、渋川竹涯も当山に一泊を乞い、漢詩数種を作り残した。
 明治画檀の巨人鈴木松年の高弟として松の絵で名高い汐見松亭は何回か当山に来て画会を催したりしたが、玄関の襖に巨松を描いて記念とした。


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