岩滝の神社寺院 43
寺院(13)
称名寺(2)


歴代住職
 一代 開基 善入
  開山 祐山 宝永6巳丑年(1709)5月6日
 二代 中興 教因法師(開山)宝暦6丙子年(1756)9月2日
 三代 四代 五代 六代 七代 八代
 九代 十代 十一代 十二代 十三代
 十四代 忍諦法師 享和元年(1801)酉5月22日
 十五代 宝山法師 文政3年辰(1820)2月23日
 十六代 正光法師 文政10年亥(1827)正月28日
 十七代 正山 弘化3年(1846)6月16日
 十八代 正順 天保12丑年(1841)10月6日
 十九代 大遷 60才但馬より入夫 明治15年10月17日
 二十代 正行 36才 明治26年11月23日
 二十一代 諦教 89才丹波野花(福知山市)花崎氏
 二十二代 行信
諦教は龍谷大学の前身文学寮出身の俊才で、各地に教鞭をとり30才近くで当山を継いだのであるが、窮迫の極にある寺の経済状況を見て呆然自失する外無かったという。
寺の敷地が大半他人の所有で年々一石の年貢米を支払うに至っては寺院の恥辱さえ感じられた。
そこで鋭意寺門の興降を謀り、家伝灸の研究と宣伝、夜間は青年学校の講師を勤めた。
灸の客は日増しに遠近から来るようになり遂に門前市を為すの有様、糸井素太郎の眼科の看者数と並び称せらるるに至った。こうして逐年買い集めた田地から毎年数十俵の年貢米を収納することとなり、土蔵、客間、堂等を増築し、庭園も造られ、寺院としての模様を整え、更に与謝郡真宗寺院連合会長を多年勤続、岩滝産業組合幹事を20年もつとめ、日置の田井源四郎、野間の木下と共に郡内三名監事と評せられた。


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