岩滝の神社寺院 45
寺院(15)
廃絶した岩滝町の寺院(1)


長泉寺
 古記録と伝説とを綜合すれば仏寿山長泉寺は、府中妙立寺の下寺であって、檀中は弓木、石田に散在し、30数戸であった。
 天正15年(1587)京都本国寺の僧、日禎聖人の開基。然るに後年衰退、維持困難となり(一説には一色氏の戦に焼失し去ったと)檀徒総代堀口源五郎、妙見の木像、其他を郷蔵に保存を乞うたと伝えられている。
 場所は弓木城(一色城)下、玉田寺裏であって、寺屋敷には舞台が建ち、芝居、狂言の娯楽場、狂言場として利用されてきたが、明治19年の初夏、昼間に全焼した。乞食が隠れ住み、火を失したのであると伝えられている。舞台跡は公園になり、青年会の手で桜が植えられ、開花季にはとても賑ったが、今は蔬菜畑となっている。


龍泉寺相伝院(岩滝)
 岩滝山龍泉寺相伝院 二つの寺院の名と思われるがどんなものであろうか。しかも岩滝山の山号から考えると、岩滝最古の寺院らしい。
 位置は現在の板列岩本神官宅がそれであったと伝えられているのであるが、そうすると寺谷の名と合致しない。しかも寺谷には、今尚慶長前後の墓石が無数に残っている。
高禅寺(男山)
 瑞厳山 高禅寺 曹洞宗 永平寺末
本尊 地蔵菩薩
開基 宮津智源寺密道大和尚
 元、竹野郡小脇にあり、元禄10年(1697)3月23日草創、其の後漸次頽廃維持困難となり、明治末年の住職太田玉宗、之を苦慮し、百方転換策を考え、男山が明治の初め、玉田寺、西光寺、称名寺を離檀し、神徒となっているに乗じ、勧誘に奔走し30戸を得、総代三田文五郎、高岡栄太郎尽力の下に、明治40年12月、城山に移転落慶、2代、今川文海に及んだが、昭和2年3月7日丹後震災の際全潰し、復旧出来ず、終に廃寺となった。


前へ 目次 次へ