岩滝の神社寺院 46
寺院(16)
廃絶した岩滝町の寺院(2)


水月庵(男山)
 文珠、智恩寺に六坊があった。本光院は境内、玄妙庵と対潮庵は村の裏山、黄梅院は村内、水月庵のみは岩滝町男山に在り、代々尼寺であったが、明治2年(1869)油屋火事(三田重右衛門)に類焼、本尊を焼失したので廃寺となった。伝えられるところによると、油屋の油壺に火が移り、火の玉が近くの水月庵の椎の大木にぶつかり、庵は見る見る火の海となった。庵主義浄尼は己むなく庵の所有田(四五俵成)を男山村に寄贈し、地蔵盆に酒を出して踊ることを条件とした。尚盆の24、5両夜踊る慣例は続いている。
 庵には大地蔵があり、とても有名であった。というのは中郡鱒留の松助という石工は近代稀に見る名人で、奥大野若宮神社(中郡大宮町)石灯篭を始め、処々に手の跡を残しているが、宮津智源寺の大地蔵も彫刻した。
 其の石の半分で造ったのが水月庵の地蔵であった。ところが火災で建物の下敷きとなり、欠損したので焼け跡に埋めてしまった。今一体の子持立体の地蔵尊のみが俗にアンデラと称する路傍に安置されたままになっている。
台石(4尺5寸)に「嘉永二己酉、四月四日没、入法恵証禅尼、有道黙禅尼」等の文字が刻まれている。恵証は水月の中興と伝えられ、墓は三田の共同墓地に残り、印塔「入法恵証禅尼嘉永二己酉四月四日」の刻印が読まれる。
法王寺(男山)
 男山の東端に寺屋敷だけが残っている。
 その屋敷跡から推察すると、往時は境内も相当広く塔堂伽藍聳え、堂々たる寺院があったのではないかと思われる。
 本堂跡ではなかったかと思われるところの西南隅に宝篋印塔があり、製作の年代も相当古いもののようである。
 参道であったと考えられる道の両側のそこここに巨大な石の碑が点在して残っている。
 更に本堂裏の山頂には2ケ所に経塚の跡がある。



慈光寺(男山)
 詳細は不明



西明寺(男山)
 詳細は不明


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