短地蔵


短地蔵尊は、昔不動尊附近の谷川が岐れて二派のとなる地点の路傍にあったが現在は新道と旧道と分かれる所に移転されている。
石の質は極めて堅牢であってこの地方の産ではないように思われるが、肩から斜めに一刀両断されたような痕跡がある。石の事であるから多年の風化作用によって刃傷のような亀裂が生じたものであろうが、この地蔵尊については次のような伝説がある。
昔、弓木の城主一色五郎義俊は田辺(今の舞鶴)の城主細川藤孝の娘と結婚した。三年の後、織田信長に促され上京することになった。途中田辺城に岳父(がくふ)藤孝(幽斎)を訪れるつもりでこの地蔵尊の前を通った。
突然、地蔵尊は義俊を呼び止め、「不吉の相あり、今日の田辺行きは思い止まるように。」と、注意した。短気な義俊は振りかえり「何を。」と、いうや否や抜く手も見せず、地蔵尊を袈裟掛けに切った。
義俊は列を正し出発した。田辺城に義父藤孝を訪ねたが、地蔵尊の予言の通り義俊は細川のために謀殺され多数の部下も主人と共に敵刃にたおれた。
その後、里人等が両断された石地蔵を継ぎ合せて祀ったのが、この短地蔵であるといわれている。
また、一説には子供の寝小便を瘉す地蔵尊として有名であったとも伝えられている。

 

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