岩滝の歴史 −209−

岩滝町の天災地変(20)

−火災(3)−


上道火事

西南戦役(1877)における岩滝町出身の戦死者、蒲田荘七の遺族は、有栖川宮熾仁親王の御染筆を乞ふて、戦没記念碑を建立し、その除幕式を兼ね、近郷の戦死者の遺族にも呼びかけ合同招魂祭を盛大に挙行し、余興として、当時地方では珍らしい程立派な花火が沢山打ち上げられた。

 

子供がこれを見まねて、木片に火をつけてほり上げていた。それが藁屋根に止まり、炎上した。丁度この時刻は午睡から覚めて、大人は皆麦刈りに出た直後で、またたく間に四方に燃え広がり、上道は糸井治郎七家から北は竹花川に及び、下は新道筋まで三十六戸を灰にした。

 

これは明治14年5月20日のことであった。

参考文献 岩滝町誌 昭和45年1月


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