嫁ヶ墓


森本村(京都府中郡大宮町)に富豪があった。年頃の娘があり大変美人であったので、岩滝の富豪が懇望し、扇子納め、結納といった儀式も終っていよいよ黄道吉日を選んで婚儀の当日となった。
花嫁は籠、二十荷の荷物はそれぞれ人足が担いで一丁に余る行列、二十丁の坂道を先頭が頂上に達すると、一服というので荷物を路に下ろし、汗を拭くもの、小用に立つもの・・・。十五分間も休憩するとまた出発となった。ところが籠が余りにも軽くなったので、視いてみると花嫁がいない。さあ大変。総がかりで山や谷を八方手をつくして捜したが全然行方が判らないので元来た道を引返すより外なかった。
当時はよく神かくしとか、天狗にさらわれるとかいって突然行方不明になった男女が少なくなかった。そして一年も経過して偶然帰ってきたり、高い木の股に掛けられて人事不省になっていたり、山の上の愛宕堂の天井裏に隠されたりした例もあって、花嫁が余りに美人だったから魔神にさらわれたのであろうということになり、その日を忌日とし、路傍に嫁ヶ墓ができた。
これ以来この森本峠鬼坂は中郡の本街道であるに拘らず、嫁入りの一行に限り迂回して大内峠、又は五十河(いかが)越えに路を取ることとなった。
ところが後日譚として伝えるところによると、後年、森本の者が伊勢参宮をして、街道に森本屋という店を見っけ、買物に入ってみると、驚いたことには女主人が嫁ヶ墓の主であり、噂のあった恋人も一緒らしいことが判って、伊勢参りの土産噺にしたということである。

 

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